まりりん・ポリグロット化

生の海外文化を様々に取り上げつつ多言語習得を目指すブログ。動画も楽しんで。

白鳳関、お疲れさまです。

www.youtube.com[Монгол Тулгатны 100 эрхэм] - М.Даваажаргал

 

www.youtube.comも白鵬翔さん МУГЖ С.Жавхлан - Хакухо (үгтэй) - MUGJ S.Javkhlan - Hakuhō Shō #白鵬 翔 (Lyrics)

 

モンゴルの力士はどうしてあんなに日本語が上手なのでしょうか?モンゴル語は日本語とかけ離れているのに。

 

高知の明徳義塾高等学校で多感な時期を過ごした経歴を持つ人もいるけれど、全員がそうではありません。このたび引退を表明した白鳳は大阪の摂津倉庫という企業の相撲部で修業をしていたそうです。それにしては大阪弁を聞かないし…。

 

明徳義塾高等学校出身の朝青龍の日本語はちょっと砕けすぎて乱暴に聞こえました。日本語に馴染むの早いという印象と同時に、日本文化を全面的に受け入れることはないという強い意思のようなものも感じられる。いかにも騎馬民族

 

丁寧で穏やかな日本語で話す白鵬さんも、時々騎馬民族の血が騒ぐようにお見受けします。父はモンゴル初のオリンピックメダリスト(レスリング・1968年メキシコ・銀)で国民的英雄。Wikipediaによると、元外科医の母のルーツをたどるとチンギス・ハーンさんがいるそうな。

 

モンゴルでの小学生時代に毎年伯父の家で夏の一か月を過ごした思い出があるそうです。

ゲルと呼ぶ移動式の住居で目を覚まし、井戸で水をくむ。馬に乗って羊の世話をし、夕暮れ時にはオオカミの襲来に目を光らせた。空腹時にはプレーリードッグ(正しくはマーモット。モンゴルでは「タルバガン」と呼ばれている)を狩り、熱した石で、こんがり焼いて食べていたとのこと。リスに似たこの小動物も草原では大切なタンパク源であり、白鵬は「鶏の手羽先に似た味がしてね。大好物だった」と後に振り返っている。祝いの日には羊の丸焼きを頬張り、馬の乳を発酵させた馬乳酒を飲んだ。草原の食で腹を満たし、馬で駆け巡った日々は、しなやかな足腰の原型を作った。「あの経験がなかったら横綱にはなれなかった」と、白鵬は後のインタビューで遠い目をして振り返っていた。

 

差別にも耐えてきました。「肌の色の違い」とインタビューの中で口にしていました。色白の……でも、どう見てもアジア系に見えます。見た目で差別はされないかと思いますが…風当りの強さは敏感に察知されていたようです。日本人と結婚して日本に帰化しても関わらず……やはりモンゴルの血は熱く流れている。人に言えない様々な葛藤があったに違いありません。

素晴らしい戦績です。いろいろ話題も提供しました。

お疲れさまでした。

 

news.yahoo.co.jp

ja.wikipedia.org

 

 

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